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文法とは

「1章:言語習得を再定義する」でも説明しましたが、文法とは、言語学者が実際のコミュニケーションからパターンや法則を見つけて、それを論理的に分かりやすく説明してくれたものです。そのため、文法を学ぶことで、英語の典型的なパターンや法則を理解することができます。また、英語話者の世界の捉え方や考え方を理解することもできます。

母語話者の子どもたちは、大量のインプットから文法(的な感覚)を自然に身につけますが、学習者が同じことをするのは簡単ではありません。しかし、先人が記述してくれたこの文法のおかげで、私たちは大量のインプットなしでも母語話者の感覚を学ぶことができます。 私たちが外国語を学習する際に使う文法書は、過去の研究者の方々の努力の結晶です(感謝です)。詳細な文法書が存在している言語の方が世界的に少なく、現在も言語学者によって文法書づくりが進められている言語が世界中にあります。

文法を学ぶとはどういうことかについて、もう少し具体的に考えてみましょう。あなたがある文を読んだとして、「〇〇が〇〇をしたが、〇〇だった。(〇〇の部分は不明)」のように主語述語関係、時制、動詞・形容詞の有無だけが理解できる場合と、「田中さん・公園・買う(時制や主語述語関係などは不明)」のように文中の単語の意味だけが理解できる場合、どちらのほうがより正確に文を理解できる、またはコミュニケーションの支障が少ないと思うでしょうか?正解は特にありません。

前者の場合は、文の構造は分かっているため、現在の話か過去の話か、誰かの行為を描写した話か目の前にある物体を描写した話か、不足している情報が主語なのか目的語なのかなどについては大体把握できます。後者の場合は、分かっているいくつかの単語を自分の頭の中で都合よく解釈する必要があるため、その文が何を意図しているのかについての確証が得られません。上記の例の場合、田中さんが公園を買ったのか、田中さんが公園で何かを買ったのか、田中さんが公園に行く途中で何かを買う予定なのか、などについては全く分かりません。

前者が文法だけを理解している状態、後者が文中の語彙だけを理解している状態のイメージとして考えてください。つまり、文法を理解していないと、後者のように文中の語彙をもとに自分勝手に文を解釈することしかできず、理解できる語彙の量がどれだけ増えても正確な理解には限界があります。つまりシンプルな内容のコミュニケーションは成立するが一定以上正確なコミュニケーションは難しい、いわゆるブロークンと言われる状態を脱することができないということです。逆に文法を理解している場合、理解できる語彙の量が増えれば、それに比例して正確に理解できる範囲は大きくなります。したがって、英語を不自由に聞いて話せるようになりたければ、文法の習得は避けて通ることはできません。

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さらに詳しい内容は、書籍「言語を、鍛えろ。」をご覧ください。