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クラクフ滞在記2022

2022.08.31

そもそも

2022年8月にクラクフに滞在した時の様子。

クラクフは14-16世紀にポーランド王国の首都として大いに繁栄した、ポーランド南部ヴィスワ川上流に位置する古都。人口は約76万人。ポーランドで最も多くの観光客が訪れる観光都市でもある。第二次世界大戦の戦禍を免れた旧市街は「クラクフ歴史地区」として世界遺産に登録されている。

ざっくりクラクフ史

クラクフは11世紀前半頃まで、スラブ民族国家モラヴィア王国や、現在のチェコを中心としたボヘミア王国の一部だった。11世紀前半頃にポーランド王国ピャスト朝の一部となり、この頃にクラクフはポーランド王国の実質的な首都となったとされる。12世紀前半にポーランド大公ボレスワフ3世が死去すると、遺言状によってポーランドの国土は分割され、それぞれの領土を息子たちが引き継いだ。年長者相続の原則により、長子だったヴワディスワフ2世がク長子領(クラクフ公国)とポーランド大公の地位を引き継いだ。13世紀にはモンゴル軍の侵攻を受けクラクフの街が破壊されたが征服は免れた。

14世紀にはピャスト朝最後の国王カジミェシュ3世が、行政制度や司法制度を整備して中央集権化を実現するとともに、農民やユダヤ人を保護するなどして国力を充実させ、ポーランド王国および首都クラクフは最盛期を迎えた。クラクフでは、市壁内の街にポーランド最古の大学クラクフ大学(現ヤギェウォ大学)や織物会館などが設立され、市壁外にもカジミェシュと呼ばれる街(後に多くのユダヤ人が移り住む)がつくられ、現在も残るクラクフの街の礎が築かれた。

カジミェシュ3世を最後にピャスト朝が断絶し、続くヤギェウォ朝が16世紀後半に断絶すると、国王を貴族から選挙で選出する選挙王制が行われ、1587年に選挙で国王に選出されたジグムント3世がワルシャワに遷都すると、クラクフは国家の中心からは退くこととなった。

18世紀後半のポーランド分割とナポレオン戦争を経て、クラクフは1815年のウィーン議定書によってクラクフ共和国としてオーストリア領内の保護国となった。1846年に独立を目指してクラクフ蜂起を起こしたが鎮圧され、クラクフ大公国としてオーストリア帝国に完全に併合された。

第二次世界大戦中はドイツ軍の占領下に置かれ、旧市街南側のヴィスワ川の対岸にクラクフ・ゲットーと呼ばれるユダヤ人隔離居住区が設置された。このゲットーから多くのユダヤ人が強制収容所に送られた。この地域は映画『シンドラーのリスト』の舞台としても知られる。

スピンオフ

クラクフで名物を味わってみた

ヴァヴェル城に行ってきた

クラクフに到着

ワルシャワから列車に乗ってクラクフ中央駅に到着。

中央駅の隣にあったショッピングモール「Galeria Krakowska」 Blog Image

中央駅前の広場「Plac Jana Nowaka-Jeziorańskiego」 Blog Image

宿泊地へ

とりあえず荷物を置くために宿泊地へ向かう。

旧市街に入る地下道。 Blog Image

旧市街の街並みを眺めながら歩く。 Blog Image Blog Image

宿泊地は年季の入った建物を利用したアパートの一室。 Blog Image

部屋の窓からの眺めは馬車。 Blog Image

中央市場広場

さっそく街を散策する。

旧市街の中心に広がる中央市場広場。13世紀にモンゴル軍の侵攻によって街が破壊された後に再建され、14世紀にカジミェシュ3世の下で中央の織物会館や市庁舎などが建てられた。 Blog Image Blog Image

何台もの馬車が列をなしている。 Blog Image

聖ヴォイチェフ教会

11世紀にロマネスク様式で建てられた教会。17世紀にバロック様式で再建された。 Blog Image

市庁舎塔

14世紀にゴシック様式で建てられた、かつての市庁舎に付属していた塔。市庁舎の塔以外の部分は19世紀前半に取り壊された。 Blog Image

織物会館

14世紀にゴシック様式で建てられた織物などの輸入品の取引所。広場中央にどーんと構える。16世紀に焼失し、ルネサンス様式で再建された。内部は市場になっており、雰囲気は中東地域のバザールを彷彿とさせる。 Blog Image Blog Image Blog Image

アダム・ミツキェヴィチ像

ポーランドを代表する詩人アダム・ミツキェヴィチの像。 Blog Image

夜の様子

夜も大勢の人々で賑わう。 Blog Image Blog Image

馬も夜まで働かされて大変だな。 Blog Image

聖マリア聖堂

13世紀にゴシック様式で建てられた聖マリア聖堂。戦争や地震によって何度も破壊され何度も再建された。

13時57分に聖堂前に来たところ、そこにいた多くの人々が聖堂の上の方を見ていたので、私も同じように待機していると14時になり聖堂の塔の上部でトランペット演奏が始まった。しかしその演奏は30秒ほど経った中途半端なところでプツっと終了した。調べると演奏は意図的に中断されており、それは13世紀にモンゴル軍が侵攻してきた時にそれを警笛によって知らせていたラッパ吹きが射殺されたという逸話に由来するらしい。 Blog Image Blog Image

聖堂内部が隙間なく激しく装飾されていて、プラハやブダペストで訪れたシナゴーグや聖堂の内装に似ている気がする。ユダヤ人に関係する歴史的な理由がありそう。 Blog Image

15世紀にドイツ出身の彫刻家ファイト・シュトースが制作した壮麗な祭壇彫刻。後陣のステンドグラスも素晴らしい。 Blog Image Blog Image Blog Image Blog Image Blog Image Blog Image

関連記事:プラハ滞在記2022#ジュビリーシナゴーグ

旧市街

旧市街を散策する。旧市街は北端から南端まで走って5分かからないぐらいこぢんまりしている。 Blog Image

聖フロリアヌスの門

14世紀にゴシック様式で建てられた門塔。旧市街の北端に位置する。 Blog Image

旧市街を囲む防御壁の一部となっている。 Blog Image

バルバカン

15世紀にゴシック様式で建てられた赤レンガ造りの砦。旧市街の最北端に位置する。 Blog Image Blog Image Blog Image

新市街

旧市街の北側周辺を散策する。 Blog Image

グルンヴァルト記念碑

1910年にグルンヴァルトの戦い(第一次タンネンベルクの戦い)の500周年を記念して建てられた記念碑。中央にあるのはポーランド王ヴワディスワフ2世の騎馬像。 Blog Image

クレパルスキー市場

クラクフで最も歴史があるとされる市場。風情ある市場らしい市場。 Blog Image Blog Image

再び旧市街

再び旧市街に戻って散策する。 Blog Image

聖マルコ教会

13-14世紀に建てられた教会。火災によって何度も焼失し再建された。 Blog Image

聖ペテロ聖パウロ教会

16-17世紀にバロック様式で建てられた教会。 Blog Image

聖アンドリュース教会

11世紀にロマネスク様式で建てられた教会。要塞機能を備えた珍しい教会。13世紀のモンゴル軍の侵攻にも耐えたとされ、クラクフに現存する最古の教会の一つ。 Blog Image Blog Image

聖三位一体聖堂

13世紀にゴシック様式で建てられた聖堂。19世紀に発生したクラクフの大火によって焼失し再建された。 Blog Image Blog Image Blog Image

聖フランシスコ教会

13世紀にゴシック様式で建てられた教会。モンゴル軍の侵攻で破壊され再建された。 Blog Image Blog Image Blog Image

コレギウム・マイウス

14世紀に建てられたクラクフ大学(現ヤギェウォ大学)の中で最も古い校舎。ポーランド出身の偉大な天文学者ニコラウス・コペルニクスが学んだ場所。 Blog Image

入口ホール。 Blog Image

図書室として使われていた部屋。 Blog Image Blog Image

食堂や集会場として使われていた部屋。 Blog Image

天文学またはコペルニクスにまつわる貴重な品々が展示されている宝物室。 Blog Image

天文学者や占星術者が使用していた天体観測用の機器、平面アストロラーベ。左上のアストラーべにはアラビア語が刻まれており、11世紀にスペインのコルドバで使用されていたとされる。 Blog Image

コペルニクスの手稿『天球の回転について』の複製。 Blog Image

コペルニクスの生誕500周年を記念して寄贈された、宇宙飛行士ニール・アームストロングの署名入りの地球写真。 Blog Image

講義室として使われていた部屋。 Blog Image

コペルニクス先生の像。 Blog Image

ヴィスワ川

旧市街の南を流れる穏やかで美しいヴィスワ川沿岸。 Blog Image Blog Image

近くに気球と小さな遊園地を発見。 Blog Image Blog Image Blog Image

気球飛んでて観覧車あってお城もあって夢の国みたいな風景。 Blog Image Blog Image

日本美術技術博物館

日本の美術品を展示し日本文化を紹介する美術館。20世紀の美術蒐集家フェリクス・ヤシェンスキが日本の美術品を国立クラクフ博物館に寄贈したのがきっかけ。 Blog Image Blog Image Blog Image

チャルトリスキ美術館

19世紀に貴族のイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人が設立したポーランド最古の美術館。火曜日はたまたま無料開放日だった。ヨーロッパでたまにあるこの無料開放日制度は素晴らしい。 Blog Image Blog Image Blog Image

バリツェ空港

市内から空港まで列車で15分ほど、料金も500円ほどでかなりアクセスがよかった。空港もかなり綺麗だった。

参考書籍

中世の街と小さな村めぐり ポーランドへ

チ。―地球の運動について―

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#ヨーロッパ#東欧#ポーランド#教会#市場#美術館#世界遺産