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クアラルンプール滞在記2022

2022.10.01

そもそも

2022年9~10月にクアラルンプールに滞在した時の様子。

クアラルンプールはマレー半島南部に位置するマレーシアの首都。人口は約180万人。マレーシアは多民族国家で、民族構成はマレー系約70%(先住民15%含む)、中華系約23%、インド系約7%で、宗教構成はイスラム教約64%、仏教約19%、キリスト教約9%、ヒンドゥー教約6%、儒教・道教等約1%(外務省基礎データによる)となっている。クアラルンプールに実際に滞在して得た感覚とも概ね一致する。

クアラルンプールは1840年代以降スズの採掘拠点として清からの移民によって開発され、1850年代に街として確立していった。初期の街はクラン川とゴンバック川の合流地点付近(現在のマスジット・ジャメ付近)に築かれた。1874年に正式にイギリスの植民地となり(マラッカ・ペナン・シンガポールなどは既に植民地化されていた)、1880年にセランゴール州の州都となった。以降イギリス植民地政府の行政下で都市計画や鉄道敷設などが進められた。1896年にマレー半島の4州を統合したマレー連合州が成立すると、クアラルンプールが首都となった。

第二次世界大戦中の1942年1月にクアラルンプールは大日本帝国陸軍によって制圧され、終戦まで大日本帝国陸軍の統治下に置かれた。戦後は再びイギリスの統治下に置かれたが、マレー系・中華系・インド系住民がそれぞれの民族ごとに組織を結成し独立運動を繰り広げた。それと同時に民族間の緊張状態も続いていた。1957年にまた別の組織マラヤ共産党がイギリス軍に対して武装蜂起を起こしたのを機に、三つの民族が妥協しあって結束し、マラヤ連邦としてイギリスからの独立を果たした。クアラルンプールはマラヤ連邦の首都となった。

1963年にマラヤ連邦にシンガポールとボルネオ島北部が加わってマレーシアが成立し、クアラルンプールは首都の座を維持した。1974年にクアラルンプールはスランゴール州から分離して連邦政府の直轄領となった。1990年代にクアラルンプールの南方約25kmに位置するプトラジャヤへの首都機能移転計画が進められ、2010年代には首都機能のほとんどがプトラジャヤに移転した。

スピンオフ

バトゥ洞窟が奇妙すぎた

クアラルンプールで博物館巡り

クアラルンプールに到着

イスタンブールからアブダビ経由でクアラルンプール国際空港に到着した。時刻は11時頃。空港から列車に乗って市街地へ。

車窓がもろ熱帯雨林でちょっと感動。 Blog Image

到着した市街地の駅の構内にファミリーマートがあった。 Blog Image

宿泊地にて

宿泊地に到着し、チェックインを済ませてエレベーターに乗ると「ドリアン持ち込み厳禁」の貼り紙が。同様の注意書きは街のあちこちで見かけた。ドリアン恐るべし。安いホテルなのに歯ブラシのアメニティが付いていてアジアに戻ってきたことを実感する。 Blog Image

宿泊地周辺はインド系住民が多く住む地区だったらしい。 Blog Image

マスジット・ジャメ

クアラルンプール始まりの地であるクラン川とゴンバック川の合流地点にあるモスク。1909年に建てられたクアラルンプール最古のモスクの一つ。イスラーム建築と西洋建築とインド建築が融合したような姿が特徴的。 Blog Image Blog Image Blog Image Blog Image

モスクの南側には割と本格的な噴水があった。 Blog Image Blog Image

モスクの南にある橋の上からの眺め。 Blog Image

ムルデカ広場

1957年8月31日0時にイギリスの国旗が降ろされ、代わって初めてマラヤ連邦の国旗が掲揚された広場。別名独立広場。 Blog Image

旗竿の高さは95mもある。 Blog Image

スルタン・アブドゥル・サマド・ビル

ムルデカ広場の向かいにある旧イギリス植民地政府庁舎。1997年にイギリスのゴシック・リヴァイヴァル建築とインドのムガル建築が融合したインド・サラセン様式で建てられた。現在は織物博物館として利用されている。 Blog Image Blog Image

セントラルマーケット

1888年に建てられ1985年に改装された市場。活気が全然なかった。 Blog Image

チャイナタウン

マスジット・ジャメの南東にあるチャイナタウン。こぢんまりしている。 Blog Image

チャイナタウンの南東にそびえ立つ「ムルデカ118」という高層ビル。2022年現在は工事中だった。高さは約680mで、完成するとドバイのブルジュ・ハリファに次いで世界で2番目に高いビルとなるらしい。 Blog Image

1887年に建てられた關帝廟。 Blog Image

スリ・マハ・マリアマン寺院

1873年に設立されたクアラルンプール最古のヒンドゥー教寺院。奇妙で豪華なゴープラム(塔門)がかなり印象的。 Blog Image Blog Image

ブキッビンタン

クアラルンプールで最も賑わっている商業地区ブキッビンタン。ショッピングモールや屋台などが無数に立ち並ぶ。伊勢丹やドンキなど日本企業の店舗や日本食レストランを頻繁に見かけた。 Blog Image Blog Image

百貨店パビリオン内にある日本食レストラン街「東京ストリート」 Blog Image

電気機器やIT製品を専門に取り扱うプラザ・ローヤット。 Blog Image

10店ほど色々な百貨店に入ってみたが、資本国によって一歩目で国が分かるぐらい店内の雰囲気が全然違った。激戦区だからか人が全然いない百貨店もたくさんあった。 Blog Image Blog Image

アロー通り

ブキッビンタンにあるクアラルンプール最大の屋台街アロー通り。

昼はほぼ営業していなかったが、 Blog Image

夜はすごい盛り上がっていた。 Blog Image Blog Image

KLタワー

1990年代にブキッ・ナナスという丘の頂上に建てられた電波塔。高さは421m。 Blog Image

歩いて麓まで行ってみた。湿度高すぎて汗が止まらん。 Blog Image

タワーの麓にある広場。 Blog Image Blog Image Blog Image

映画館の帰りに見た赤くライトアップされたKLタワー。 Blog Image

ペトロナスツインタワー

1990年代に建てられたクアラルンプールのランドマーク的存在ペトロナスツインタワー。高さは約452mで、ツインの高層ビルとしては世界で最も高い。イスラム教国らしくモスクの尖塔を模したような姿が特徴的。片方のタワーを日本企業が、もう片方のタワーを韓国企業が建設したことで知られる。 Blog Image Blog Image Blog Image Blog Image

マスジッド・ネガラ

1965年に建てられたマレーシア最大級の国立モスク。 Blog Image

金曜の午後

金曜の午後にショッピングモールに立ち寄ったところ、平日にも関わらず大繁盛していてしかも従業員以外ほぼ女性しかいないことがあった。調べると金曜日の午後は集団礼拝のため多くの企業が長めの昼休みをとるらしく、男性はモスクで礼拝に、女性は社交やお買い物に勤しむ時間だという。 Blog Image

映画館にて

映画館に『ONE PIECE FILM RED』を見に行った。料金は600円ぐらいだった。21時からだったこともあり観客は8人しかいなかった。人がいない百貨店といい映画館といい、本当に商売成り立ってるのか。。

商店にて

商店をウロウロしてたら、ヨボヨボのおばあさんが急に5リンギットを渡してきた。自分が落としたのかと思い咄嗟につい受け取ってしまった。何だこれと不思議に思いながら立ち尽くしていると、おばあさんが今度は10リンギット渡してきた。訳が分からなすぎたので断って、さっき渡された5リンギットを返した。一体なんだったんだ。。そんなに貧乏そうに見えたのか、俺は。。

名物

ナシレマッ

ココナッツミルクで炊いたご飯(ナシ)に、小魚、ピーナッツ、ゆで卵などを添えた料理。 Blog Image

プロウンミー

エビの風味が満載のエビ麺。手についた汁の匂いがしばらく取れないほどエビの風味が濃厚で絶品だった。 Blog Image

ラクサ

魚介類でとった出汁にココナッツミルクと香辛料を入れたスープに米粉で作った麺を入れた料理。 Blog Image

ナシアヤム

鶏の出汁で炊いたご飯にフライドチキン(アヤムゴレン)を添えた料理。 Blog Image

交通事情

公共交通機関の3日間乗り放題券を窓口で購入しようとしたら、マレーシア国民限定と言われた。そんなことあるのか。

かなりの確率で地下鉄の券売機の小銭入れが詰まっていて使えなかった。そんなことあるのか。

街で一番大きい中央駅で空港行きの鉄道の切符を購入しようとしたら、現金しか使えなかった。そんなことあるのか。

その他

ものを手渡すときに逆側の手を肘に添える人がたまにいた。韓国企業の影響なのかな。

街中で頭にヒジャーブ(スカーフ)を巻いている女性の割合は1-2割ぐらいで、トルコとほぼ同じぐらいだった。礼拝の頻度も高くなくてお酒も普通に販売していて、やはりトルコとほぼ同じぐらいの世俗主義度合だった。

どの飲食店も大体一皿20-30リンギット(約600-900円)ぐらいが相場で、思っていたより安くなかった。

雨季だったからか街中でカビ臭さや生臭さを感じるところが多かった。

高温多湿地域は現代文明を構築するのにあまり適していないような気がした。大規模な古代文明の多くが乾燥地帯で誕生したこととも無関係ではなさそう。

クアラルンプールは、リタイア後に移住する日本人の話などをちょいちょい聞いたことがあったので、それなりに先進的で暮らしやすい場所だというイメージがなんとなくあったが、実際に滞在してみると全然そんなことはなく、個人的には暮らしにくそうな印象を受けた。他都市に勝っている点が、英語が通じること以外あまり見当たらなかった。リタイアメントビザが人気らしいが、よく考えたらリタイアメントビザみたいな高待遇ビザを出さないとわざわざ移住しないぐらいのQOLなのかもしれない。

みんな英語が使えるのは確かに非常に便利だった。

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#東南アジア#マレーシア#モスク#食#エピソード