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パリ滞在記2022

2022.07.30

そもそも

2022年7月にパリに滞在した時の様子。

パリはフランスの首都で政治・経済・文化の中心。人口は約215万人(名古屋市と同じくらい)。中心部を流れるセーヌ川周辺に中世から近現代にかけて建てられた歴史的な建造物が集まっており「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。映画『アメリ』『ダ・ヴィンチ・コード』『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』など数多くの芸術作品の舞台となる。

スピンオフ

パリの歴史をまとめてみた

パリ発祥の地シテ島に行ってきた

パリで名物を味わってみた

ルーヴル美術館が広すぎた

オルセー美術館に行ってきた

ロダン美術館に行ってきた

ヴェルサイユ宮殿に行ってきた

空港から市内へ

空港発の電車のドア横に腕組みして立ってる男性が「パリ行きはこちら」って言いながら案内していた。やたらラフな格好の駅員だなと思っていたら、出発直後に「ホームレスなので金くれ」と書いた紙を空いてる席に置き始めた。

パリ市内に到着してそこから地下鉄で宿泊地へ向かった。最寄駅に到着して地上に出ようと"Sortir"(出口)の標識に従って進んでいくが、一向に地上に出ることができず迷路のようだった。 Blog Image

リヴォリ通り

セーヌ川北岸を東西に走る大通り。歩道や自転車(またはキックボード)レーンが広くて快適。 Blog Image

ユニクロが大盛況だった。 Blog Image

リヴォリ通り沿いのホテルからの眺め。ホテル周辺を散策していると、テラス席で一人で立ち飲みしている男性がやたら目についたので調べてみると、この辺りはLGBTバーが集まる地区らしい。 Blog Image

パリ市庁舎

リヴォリ通りに面する広場にあるパリ市庁舎。1357年パリの商人頭で実質的にパリ市長の地位にあったエティエンヌ・マルセルがこの地に自治体名で建物を購入したのが起源。16世紀に国王フランソワ1世の命で現在の市庁舎の原型となる建物の建設が始まった。その後も建物は改築を繰り返したが、場所と機能は約600年以上変わっておらず、様々な歴史的な事件の舞台となってきた。 Blog Image

サン・ジャック塔

リヴォリ通りに面する小さな庭園の中央にそびえたつサン・ジャック塔。16世紀に建てられたサン・ジャック教会が、18世紀にこの塔だけを残して取り壊された。 Blog Image

サンス大司教邸跡

14世紀にブルゴーニュ地方の都市サンスの大司教の邸宅として建設された建物。17世紀になるまでパリは大司教区ではなくサンス大司教区の権威下にあったため、パリにおけるサンス大司教の権力が強かった。 Blog Image

サン=ルイ島

シテ島と並ぶセーヌ川の中州。島の名はカペー朝の国王ルイ9世にちなむ。サン=ルイ島は超高級住宅地で、島内の邸宅の多くは国内外の大富豪によって代々所有されてきたという。サン=ルイ島の最も東側にかかるシュリー橋は、セーヌ川に対して垂直ではなく斜めにかかっているが、これは19世紀の「パリ改造」時にジョルジュ・オスマンがバスティーユ広場にある記念碑とパンテオンの両方を眺められるように意図的に設計したものだという。

北側からサン=ルイ島へ入る。 Blog Image

17-18世紀に建設されたサン=ルイ教会。 Blog Image

南側からサン=ルイ島を出る。奥に見えるのはもう一つの中洲であるシテ島(パリ発祥の地シテ島に行ってきた)。 Blog Image

サン・セヴラン教会

セーヌ川南岸地区に位置する、12世紀にロマネスク様式で建設された教会。13世紀以降に現在見られるゴシック様式に再建された。 Blog Image Blog Image Blog Image

クリュニー浴場跡

セーヌ川南岸地区に位置する古代ローマ時代の浴場跡。 Blog Image

セーヌ川

ここらで美しいセーヌ川を眺めてちょっと一息。 Blog Image Blog Image Blog Image

モンマルトルの丘

パリで最も標高が高い丘。元々はパリ郊外の農村地区だったが、19世紀の「パリ改造」時に多くの市民が市街中心部から、田園風景が残り生活費が安いモンマルトルに移り住んだ。特に芸術家が多く移り住んだことで、モンマルトルはセーヌ川南岸のモンパルナスに対抗する、芸術家が集まる地区として知られるようになった。有名どころでは、ピカソ、ゴッホ、マティス、ルノワール、ドガ、ロートレックなどがモンマルトルで制作を行なっていた。

サクレ・クール寺院

モンマルトルの丘のランドマークとも言える聖堂。19世紀後半から20世紀前半にかけてビザンティン様式とロマネスク様式で建設された。なんとなく仏教寺院っぽい外観をしている。 Blog Image Blog Image Blog Image Blog Image

別の入口からドームに登ってみた。パリで最も標高が高いだけあって全景を見渡すことができた。 Blog Image

エッフェル塔や凱旋門までは距離がある。 Blog Image

聖堂の西側の画家たちが住んでいた地区を散策してみた。風情あり。 Blog Image

ブドウ畑あり。 Blog Image

小さな公園の入口でたわわに実っているブドウを発見。 Blog Image

作家マルセル・エイメの『壁抜け男』に由来する像。 Blog Image

テルトル広場

観光客の似顔絵を描く画家たちで埋め尽くされていた広場。パリの雰囲気ムンムン。 Blog Image

ムーラン・ルージュ

丘を少し下ったところにある赤い風車を備えた建物は、ムーラン・ルージュというキャバレー。1889年に開業した娯楽施設で、パリ最大の歓楽街であるピガールのシンボルとなっている。踊り子がスカートをたくし上げて激しく踊るフレンチ・カンカンが有名。また画家のロートレックが通いつめ、踊り子たちをモデルにポスターを描いたことでも知られる。 Blog Image

エトワール凱旋門

アウステルリッツの戦いに勝利したことを記念して1806年ナポレオン1世の命によって建設が始まり、1836年ルイ・フィリップの7月王政時代に完成した凱旋門。古代建築を模範とする新古典主義の代表的な建築の一つ。凱旋門の周囲は幅広の車道になっていて地上からは近づくことができず、シャンゼリゼ通り側にある地下入口から地下道を通ると凱旋門に辿り着ける。

東側から見た凱旋門。 Blog Image

西側から見た凱旋門。 Blog Image

横から見た凱旋門。普通の門の正面よりデカい。 Blog Image

下から見た凱旋門。 Blog Image

凱旋門の屋上に登ってみた。パリが整然と区画された都市であることがよく分かる。 Blog Image Blog Image

屋上から下りてみた。 Blog Image

シャンゼリゼ通り

西はエトワール凱旋門、東はコンコルド広場まで約3km続くパリ最大の大通り。 Blog Image Blog Image

コンコルド広場

フランス革命期に、国王ルイ16世やマリー・アントワネットがギロチンで処刑されたことで知られる広場。中央にはナポレオンがエジプト遠征時に戦利品として持ち帰ったオベリスクが建っている。西にはシャンゼリゼ大通りとエトワール凱旋門、東にはチュイルリー庭園とルーヴル美術館、北にはマドレーヌ寺院、南にはブルボン宮殿(フランス国民議会議事堂)があり、まさにパリの中心的な広場と言える。 Blog Image

チュイルリー庭園

コンコルド広場の東側からルーヴル美術館の西側まで広がるフランス式庭園。国王アンリ2世の死後に王妃カトリーヌ・ド・メディシスが建設を命じたチュイルリー宮殿が元々この場所にあったが、パリ・コミューンの兵士らによって焼失したため、現在は庭園だけが残り市民公園として親しまれている。 Blog Image

夏季限定で開かれる遊園地。パリで育ったこと1秒もないけど懐かしい。 Blog Image

チュイルリー庭園の東側にあるカルーゼル凱旋門。アウステルリッツの戦いに勝利したことを記念して1806年ナポレオン1世の命によって建設が始まった。チュイルリー宮殿の敷地内への入口としても使用されていた。 Blog Image

エッフェル塔

1889年にフランス革命100周年を記念して開催された第4回パリ万博にあわせて建設された高さ320mの鉄塔。 Blog Image Blog Image Blog Image

エッフェル塔のお足元は意外と自然豊か。 Blog Image

エッフェル塔の対岸の丘の上にあるシャイヨー宮から眺めたエッフェル塔。 Blog Image

パレ・ロワイヤル

国王ルイ13世に宰相として仕えたリシュリューの邸宅として17世紀に建てられた宮殿。リシュリューとルイ13世の死後、ルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュが息子ルイ14世とフィリップを連れて移り住んだことでパレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになった。その後国王がヴェルサイユに移ると、パレ・ロワイヤルは商店やレストランが軒を連ねるショッピングセンターとなり、警察の立ち入りが禁止されていたため、娼婦や革命家の溜まり場となった。現在、建物は政府系機関となり、中庭や庭園は市民の憩いの場となっている。 Blog Image

ストライプの柱はダニエル・ビュラン作の現代アート。 Blog Image Blog Image

ヴォージュ広場

17世紀初頭に国王アンリ4世の命で建設された正方形の広場。広場を囲むのはかつて貴族の館だった建物で、ヴィクトル・ユゴーも住んでいたらしい。 Blog Image

バスティーユ広場

フランス革命発端の場所だったバスティーユ牢獄があった広場。広場中央には、1830年の7月革命の犠牲者を追悼するために建てられた記念柱が置かれている。 Blog Image

サン=ポール・サン=ルイ教会

17世紀にイエズス会によって建てられたパリで最初のバロック様式の教会。意外にもパリにはバロック様式の教会がほとんどないらしい。 Blog Image

パンテオン

18世紀にパリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴに捧げる聖堂として建設され、現在は偉人たちが埋葬されている霊廟。古代建築を模範とする新古典主義の代表的な建築の一つ。 Blog Image Blog Image Blog Image

ピッカピカの鏡面に映るのは「フーコーの振り子」。1851年に実際にパンテオンで公開実験が行われた。 Blog Image

地下には棺が置かれた部屋がたくさんあり、自由に出入りできた。 Blog Image

18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの棺。 Blog Image

リュクサンブール公園

国王アンリ4世の2番目の王妃マリー・ド・メディシス(ルイ13世の母・フィレンツェのメディチ家出身)が、アンリ4世の死後、フィレンツェのピッティ宮殿をモチーフにして建設した宮殿とその庭園だった場所。現在は市民公園となっている。 Blog Image Blog Image

ニューヨークのシンボルである自由の女神を制作した彫刻家バルトルディがこの公園のそばにアトリエを構えていたことから、公園内には自由の女神の原型が置かれている。 Blog Image

アンヴァリッド

17世紀ルイ14世の下で建設された退役軍人のための療養所(廃兵院)。当時から病院、ホスピス、兵舎、礼拝堂として機能し、現在も軍事病院として機能し続けている。フランス革命時に、市民がこのアンヴァリッドの武器庫から大量の武器や弾薬を奪い、それからバスティーユ牢獄を襲撃したという。 Blog Image

金色のドームを備えた教会は軍事霊廟となっており、ナポレオン1世をはじめとする軍人のお墓が安置されている。 Blog Image Blog Image

ナポレオン1世のお墓。床にはローリエとナポレオン1世が勝利した戦いの名前が刻まれている。 Blog Image

第1次世界世界大戦の将軍フェルディナン・フォッシュのお墓。 Blog Image

アンヴァリッドには軍事博物館が併設されていた。13-20世紀のフランスの軍事に関する展示がされている。 Blog Image

カッコよすぎる中庭。 Blog Image

マドレーヌ寺院

ギリシャ神殿を思わせる外観を備えた、聖女マグダラのマリアに捧げられたカトリック教会。18世紀後半にルイ15世によって建設が開始したが、フランス革命などで工事が中断し、その後ナポレオン1世がフランス軍を讃えるための建物にすべく、現在見られる新古典主義建築の建設を再開した。しかしナポレオン1世の失脚後に完成したため、結局カトリック教会として使用されることとなった。 Blog Image

恐ろしくカッコいい新古典主義様式の内観。 Blog Image Blog Image

ラ・デファンス

ラ・デファンスはパリ西部近郊にある、高層ビルや巨大なショッピングモールなど現代的な建物が集積している再開発地区。ここに向かう際に乗った地下鉄1号線だけなぜか日本語アナウンスが流れてきた。 Blog Image

グランダルシュと呼ばれる凱旋門をモチーフにした現代建築。 Blog Image

人が親切

ロンドンやベルリンやローマなど各国の首都をいくつか訪れたが、その中では親切な人が最も多かった気がする。道を譲った時に例外なくありがとうって言ってくれる首都は初めてだった。データが多くないので偶然か必然かはわからない。

参考書籍

フランス革命についての省察

フランス現代思想史

世界一簡単なフランス語の本

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#ヨーロッパ#フランス#教会#世界遺産