ロダン美術館に行ってきた
2022.07.30
そもそも
パリ滞在記2022のスピンオフ。
ロダン美術館は、彫刻家オーギュスト・ロダンが制作または蒐集した作品を展示する美術館。建物はロダンがアトリエまたは邸宅として晩年を過ごした館を利用している。ブロンズ像は原型(フランス政府所有)があれば全く同じ像を鋳造できるということもあり、ロダンの代表的な作品の多くは世界中にいくつかの複製が存在する。
庭園
緑豊かな庭園にロダンの代表的な作品がいくつか配置されている。貴重な作品が屋外に展示されているのは、元々屋外に配置する彫刻として制作依頼を受けたからだという。
『考える人』
元々『地獄の門』の上部に配置されていた人物像を独立させて拡大した彫刻作品
ただ物思いに耽る人にしては、右肘を左膝に置いていたり、背中の筋肉が隆々だったり、過度に前傾姿勢だったりと、不自然な点が多く違和感満載。全身に力が入っているような印象で、少なくともリラックスした姿勢ではない。つまり、ただ物思いに耽る人という訳ではなさそうで、何かを必死に考えているのだろう。私には地獄へ足を踏み入れるか否か苦悩しているように見える。
バチカンにあるシスティーナ礼拝堂(バチカン美術館が広すぎた)の天井画に描かれた預言者エレミアや、フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂のウルビーノ公ロレンツォの墓碑に彫られた彫刻(フィレンツェ滞在記2022)など、ミケランジェロ作品の影響を受けたと思われる。また彫刻家ジャン=バティスト・カルポーの『ウゴリーノと息子たち』の影響も如実に感じられる。『ウゴリーノと息子たち』はロダン『地獄の門』と同様にダンテ『神曲 地獄篇』をモチーフにし、ウゴリーノが右肘を左膝に置いて考える姿を表現している。また『ウゴリーノと息子たち』は、ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』やバチカンにある古代彫刻『ラオコーン』の影響を受けている。さらにロダンも『ウゴリーノと息子たち』という彫刻を制作した(オルセー美術館蔵)。
『地獄の門』
ダンテ『神曲 地獄篇』をモチーフにした彫刻作品。パリに新設予定だった装飾美術館の入口に設置する門として依頼され制作したが、結局美術館建設の遅延や中止によって話は無くなった。当初はフィレンツェにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の東扉(天国の門)に倣った整然とした構成だったが、次第に混沌とした構成へと変わっていったとされる。『考える人』『アダム』『三つの影』などは元々この『地獄の門』を制作する過程で生まれた。
『アダム』
フランス美術省にアダムとイヴの像を依頼され制作した彫刻作品。システィーナ礼拝堂(バチカン美術館が広すぎた)の天井画『アダムの創造』に描かれたアダムや、フィレンツェにある大聖堂付属博物館(サンタ・マリア・デル・フィオーレに行ってきた)に展示されている『バンディーニのピエタ』など、ミケランジェロ作品の影響を受けたと思われる。
『三つの影』
元々『地獄の門』の最上部に配置されていた像を独立させて拡大した彫刻作品。俄かに信じがたいが、3人とも全く同一のアダム像が並べられているという。
『カレーの市民』
カレー市の英雄ウスタシュ・ド・サン・ピエールの記念碑として依頼され制作した彫刻作品。ウスタシュは、14世紀の百年戦争中、カレー市がイギリス軍に包囲された際に、他の5人のカレー市民とともに進んで人質となることで、カレー市を救ったとされる。ロダンはウスタシュ以外の5人のカレー市民も含めた6人の哀しく痛々しい姿を表現したが、ウスタシュ一人の華々しい姿を期待していたカレー市はそれに反発し軋轢が生じたという。
本館
『接吻』
ダンテ『神曲 地獄編』のパオロとフランチェスカの悲恋に着想し、『地獄の門』の制作過程で生まれた彫刻作品。着想自体は悲劇からだったかもしれないが、作品自体はむしろ情熱的な愛の姿を表現している。
『絶望』
『地獄の門』の制作過程で生まれた彫刻作品。
鹿に乗る福禄寿
ロダンが蒐集したコレクションの一つ。ジャポニスムの影響が多少はあったのかも。
ゴッホ『タンギー爺さん』
パリに移り住んだゴッホが描いた絵画。背景には歌川広重らの浮世絵が描かれており、当時流行していたジャポニスムが最もよく表れた作品の一つ。タンギー爺さんは画材店で働く職人兼美術商で、芸術家たちから人望を集めていたという。ほぼ同じ構図の作品がもう一点存在する。