バチカン美術館が広すぎた
2022.07.21
そもそも
ローマ滞在記2022のスピンオフ。
バチカン美術館は、サン・ピエトロ大聖堂の北側に隣接するヴァティカン宮殿の大部分を占める20以上もの美術館や博物館や図書館の総称。年間600万人以上の来館者を誇るバケモノ美術館で、世界遺産に登録されている。16世紀初頭に教皇ユリウス2世が、収集した美術品をバチカン宮殿に設置したのが起源とされる。古代ギリシャや古代ローマ時代の美術品を含むコレクションは、ミケランジェロなどルネサンス期の芸術家に大きな影響を与えたとされる。
ピナコテカ(絵画館)
ラファエロ『キリストの変容』。ラファエロの集大成とも言える遺作。
カラヴァッジョ『キリスト降架』
ベルニーニによる天使像の試作品。鉄製の骨格と藁などを混ぜた粘土で作られている。
ボヘミア出身画家ヨハン・ヴェンツェル・ペーターの動物画。
庭
サン・ピエトロ大聖堂のクーポラがひょっこり。
キアラモンティ美術館
教皇ピウス7世(キアラモンティ家出身)が収集した古代彫刻を展示する美術館。長い回廊にちょっと心配になるくらい無防備な古代彫刻がズラリと並ぶ。
ナイル川を擬人化したローマ帝国時代の彫刻。左端にワニ、右端にスフィンクスが彫られている。16体のプットー(小天使)はナイル川増水期の理想的な水位を表現しているらしい。
ピオ・クレメンティーノ美術館
18世紀に教皇クレメンス14世やピウス6世の下で設立された、主に古代彫刻を展示する美術館。それぞれ個性的な複数の空間で構成されている。
八角形の中庭
アントニオ・カノーヴァ作のペルセウス像。ペルセウスはギリシャ神話に登場するゼウスの血を引く半神で、神々から授かった武器を駆使してメドゥーサ退治した英雄。
作者不明のヘルメス像。ハドリアヌス帝時代のローマンコピーと見られる。
ハドリアヌス帝時代のローマンコピーをルネサンス期に修復した、川を擬人化した彫刻。かつてはチグリス川を擬人化した彫刻とされていたが、現在(修復された後?)はフィレンツェのアルノ川を擬人化した彫刻とされる。
言わずと知れた彫刻『ラオコーン』。ギリシャ神話で、トロイアのアポロン神殿の神官ラオコーンが敵国の神の怒りを買い、2人の息子と共に二匹の大蛇に絞め殺された姿が表現されている。16世紀初頭にローマで出土し、ミケランジェロをはじめ当時のルネサンス期の芸術家に大きな衝撃と影響を与えたとされる。出土時には像の腕や手などは損壊し失われており、長きにわたる調査と議論の結果現在の形に修復された。制作された時期やオリジナルかコピーかについては諸説ある。しばしば芸術批評の対象とされてきた。
動物の間
石像動物園とすべく作られた動物の間。
ミューズの間
紀元前1世紀に作られたとされる『ベルヴェデーレのトルソ』。躍動感溢れるねじれた胴体と力強い筋肉が特徴的で、『ラオコーン』と同様にミケランジェロをはじめルネサンス期以降の数々の芸術家に大きな影響を与えたとされる。
18世紀にトンマーゾ・コンカによって描かれた天井画。
円形の間
天井も壁に並ぶ彫像も明らかにパンテオンにインスパイアされた広間。
ギリシャ十字の間
等しい長さの2本線が垂直に交差するギリシャ十字の形をしている広間。床の中央には女神アテナを描いた3世紀頃のモザイク画が設置されていた。
燭台のギャラリー
ローマンコピーの彫刻群。
地図のギャラリー
16世紀後半に教皇グレゴリウス13世の下で建設された豪華絢爛すぎる約120mの回廊。壁にはイタリアや教皇領の地図が40枚描かれている。地図はフィレンツェのヴェッキオ宮殿の地図の間(ヴェッキオ宮殿に行ったら圧倒された)でも活躍した数学者・地理学者のイニャーツィオ・ダンティが作成した。
無原罪の御宿りの間
19世紀に無原罪の御宿りの教義が制定されたことを記念して作られた広間。無原罪の御宿りとは、聖母マリアが神の特別なはからいによって原罪を一切背負っていないとする教義。イタリア人ロマン主義画家フランチェスコ・ポデスティによって描かれたフレスコ画で装飾されている。
ラファエロの間
ラファエロの間は、教皇ユリウス2世が居住していた4つの部屋で構成されるエリアで、1508年に当時25歳のラファエロに全ての装飾が依頼された。ラファエロは完成前に37歳の若さで他界したため、制作を引き継いだ弟子達の手で1524年に完成した。
コンスタンティヌスの間
4つの部屋の中で最後に完成した部屋で、ラファエロの死後に主に弟子達が手がけたとされる。コンスタンティヌス帝の生涯をテーマにした壁画が描かれている。
『十字架の出現』。コンスタンティヌス帝がミルウィウス橋の戦いへ赴く際に上空に十字架が出現したシーンを描く。
『ミルウィウス橋の戦い』。テトラルキア(四分統治)の下で西の副帝であったコンスタンティヌスが、正帝マクセンティウスに勝利しローマの皇帝位を統一する契機となった戦いを描く。
『キリスト教の勝利』。キリストの像を前にして異教徒の像がバラバラになっている様を描く。コンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認を象徴する。
ヘリオドロスの間
ラファエロが署名の間の次に手がけた部屋で、神と教会の御加護をテーマにした壁画が描かれている。署名の間の壁画に比べて、はっきりした陰影でドラマチックな描かれ方をしている。
『神殿から追放されるヘリオドロス』。紀元前2世紀のシリア王セレウコス4世に仕えた宰相ヘリオドロスが、王の命令でエルサレム神殿の財宝を略奪しに行ったところ、突如現れた神の軍勢によって追放されるシーン(マカバイ記)を描く。
『聖ペテロの解放』。キリスト教の布教活動を理由にユダヤ王国のヘロデ王に投獄されていた聖ペテロを天使が救い出すシーンを描く。ローマにあるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂(ローマで教会巡り)には聖ペテロが繋がれていた鎖が聖遺物として祀られている。
『教皇レオ1世とアッティラの会談』。5世紀にアッティラ王率いる遊牧騎馬民族フン族の侵攻を、教皇レオ1世が停戦交渉によって食い止めたシーンを描く。
署名の間
ラファエロが最初に手がけた部屋で、キリスト教と古代の精神の調和、そして哲学・神学・法学・詩作それぞれをテーマにした壁画が描かれている。部屋の名はかつて使徒座署名院最高裁判所が置かれていたことに由来する。
『聖体の論議』。聖書の登場人物が並ぶ天上界と教皇や神学者などが並ぶ地上界を描く。ラファエロが最初に着手した壁画。
『アテナイの学堂』。古代ギリシャの偉大な哲学者や科学者たちが、サン・ピエトロ大聖堂らしき聖堂で一堂に会するシーンを描く。ギリシャ哲学(=自然科学・真理追求)とキリスト教という矛盾しうる存在の調和を意図したとされる。ラファエロが『聖体の論議』の次に着手した壁画。
ボルゴの火災の間
ユリウス2世の後を継いだメディチ家出身の教皇レオ10世の依頼で作られた部屋。歴代教皇のレオ3世とレオ4世にまつわる壁画が描かれている。
『ボルゴの火災』。847年にバチカン近くのボルゴで起こった火災を、教皇レオ4世が十字を切って鎮めたという奇跡のシーンを描く。
『カール大帝の戴冠』。800年のクリスマスに行われたミサの最中に突然レオ3世がカール大帝へ戴冠するシーンを描く。
『オスティアの海戦』。849年にレオ4世率いる連合軍がサラセン人を打ち破ったオスティアの海戦を描く。
ボルジア家の間
15世紀にボルジア家出身の教皇アレクサンデル6世の下で建設された広間。ラファエロの間の真下に位置する。特に美しい天井を備えた部屋が多かった。
システィーナ礼拝堂
15世紀に後半に教皇シクストゥス4世の下で建設された礼拝堂。コンクラーヴェ(教皇選挙)の会場としても知られる。ミケランジェロが教皇ユリウス2世の下で描いた天井画と、教皇クレメンス7世とパウルス3世の下で描いた祭壇画『最後の審判』が特に有名。側壁にはギルランダイオ、ボッティチェッリ、ペルジーノらによってモーセの生涯(旧約聖書)とキリストの生涯が描かれている。
システィーナ礼拝堂だけは美術館ではなくあくまでも礼拝堂なので写真撮影も私語も禁止だったが、スタッフが何度注意を呼びかけても、みんな私語はやめないしバレないように写真撮影してるし、民度が低すぎた。しばらくすると短めのお祈りの時間が始まり、お祈りの最後に司祭が「神のご加護があるでしょう、もしあなたにその価値があるならば」と言ってたが、あれは皮肉だったのか。
バチカン図書館
システィーナ礼拝堂から出口へ向かう際に通る、古文書や絵画や装飾品などが展示されている長ーい回廊は、バチカン図書館の一部。バチカン図書館は、15世紀にニコラウス5世やシクストゥス4世の下で設立された図書館。世界最古の図書館の一つで、100万点以上もの膨大なコレクションを誇る。
3世紀に描かれたとされる『ディアーナを称える子どもたちの行列』。ディアーナはギリシャ神話のアルテミスと同一視される狩猟・貞節の女神。古代ローマ時代には既に写実的な人物描写がある程度確立されていたことが分かる。ルネサンスがルネサンスたる所以を実感する一例。
二重螺旋階段
イタリア人建築家ジュゼッペ・モーモの設計で建設された、美術館の出口へ向かう階段。16世紀にドナト・ブラマンテの設計で建設されたブラマンテ階段(現在もピオ・クレメンティーノ美術館にあるが非公開)のオマージュで建設された。二つの階段が互いに重なる二重螺旋構造になっている。
感想
コレクションが膨大すぎた。あと2回は行きたい。